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Production Note

16世紀に生み出された叙事詩「パドマーワト」

本作は、イスラム教神秘主義者の詩人マリク・ムハンマド・ジャーヤシーが1540年に著した叙事詩「パドマーワト」に基づいている。彼自身がこの書の末尾に「創作である」と書いていることから、歴史的事実ではなく、イスラム教国のアラーウッディーン・ハルジーによるメーワール国への進軍の史実を、美と愛を巡る義の戦いの物語にしたものといわれている。パドマーワティは実在した王妃であるが、歴史的資料は乏しく、その実像はほとんど不明である。しかし、「パドマーワト」の中では絶世の美女とされ、女性の尊厳を守るため悲劇的な最期も遂げたことから、インド歴史上の女傑のひとりとして、ラージャスターン地方では女神のように信仰されている。

アラーウッディーンの権勢

本作に登場するアラーウッディーン・ハルジーは、デリー・スルタン朝のひとつハルジー朝を興したジャラールッディーン・ハルジーの甥で、娘婿でもあった。アラーウッディーンは、1294年に軍隊を率いて南部デカン高原のヤーダヴァ朝に進軍し、1296年には首都を占領した。そしてデリーから駆けつけたジャラールッディーンを暗殺し、王妃と王子を幽閉し、1296年にスルタン(皇帝)の座に就いた。彼は5度にわたり北方からのモンゴル帝国侵入を退けながら領土拡張政策をとり、自らを「第2のアレキサンダー」と称した。1303年にはメーワール国に進軍し、チットールは陥落する。歴史家の解釈によれば、この進軍は彼の領土拡張政策のひとつに過ぎなかった。メーワール国はアラビア海に面するグジャラートの港に通じる地域にあったため、商取引のために支配しておく必要があり、西方からの敵軍侵入に備え、メーワール国は要衝の意味も持っていたとされる。

ボリウッドのいまを代表する俳優たちの激突

2015年の前作“Bajirao Mastani”に続き、ディーピカーはバンサーリー監督の歴史大作で主役を演じた。しかし、前作で演じたマスターニーと今回のパドマーワティは大きく異なり、彼女にとって大きな挑戦だったという。マスターニーは時に武器を手にして闘う女性であるが、パドマーワティは闘争心を内に秘め、内面的な強さと美しさをもった女性である。彼女は監督と約2年間議論を続けてきたが、過酷でタイトな撮影スケジュールを知らされた時、肉体的な辛さよりも、精神的な辛さを憂慮し、スケジュールに耐えるため精神的・感情的な面の準備を優先したという。100日の撮影期間中、ディーピカーは装飾や宝石もあわせて30kgある200万ルピーの衣装を、1日12~14時間着続け、その忍耐力を称賛されている。アラーウッディーンを演じるランヴィ―ル・シンは、監督から、これまでに演じてきた役を全て忘れるように忠告され、歴史上の暴君について書かれた本を渡された。彼自身も役作りに悩み、暗い場所に籠もり、1週間に6日間、1日に2回の過酷なトレーニングと共に、赤肉を毎日食べる食生活に切り替えた。実際の撮影は肉体以上に、精神的に負担が大きく、この役を演じたことで、彼の実際の性格や振る舞いにも大きな影響が現れ、元に戻るために精神科医のカウンセリングを受けたとも伝えられている。その演技については、マスコミや共演者等から高く評価する声が多く寄せられ、彼がこの役を演じたことで、アラーウッディーンが、ボリウッド映画史上の三大悪役といわれるまでになった。インドでは悪役を演じると、本当に悪人であるとみなされてしまうことがあるが、公開後に彼を見た小さな子ども泣き出したこともあったと彼は語っている。シャーヒド・カプールが演じたラタン・シンは、パドマーワティとアラーウッディーンの間で埋もれてしまう可能性もある難しい役となった。役作りにあたっては、1年半かけて準備し、厳しいトレーニングで肉体を鍛え、40日間のダイエットを続けた。さらに、彼にとっては初めての歴史作品ということもあって、歴史作品の白眉とされる1960年の名作“Mughal-e-Azam”を参考にしたという。ラタンの性格は彼自身とは異なっているため、全てのシーンの撮影が難しかったが、最も難しかったシーンは、武器の扱い方についても専門家から指導を受けた最後の戦闘シーンだったという。このシーンは15回のリハーサルの後、ノーカットで撮影された。彼がこれまでに演じてきた役とは異なり、得意とするダンスシーンがなかったが、自身のキャリアの中で身体的・精神的に最も挑戦的な役のひとつであり、キャリアのターニング・ポイントになったと語っている。

アラーウッディーンの権勢

本作に登場するアラーウッディーン・ハルジーは、デリー・スルタン朝のひとつハルジー朝を興したジャラールッディーン・ハルジーの甥で、娘婿でもあった。アラーウッディーンは、1294年に軍隊を率いて南部デカン高原のヤーダヴァ朝に進軍し、1296年には首都を占領した。そしてデリーから駆けつけたジャラールッディーンを暗殺し、王妃と王子を幽閉し、1296年にスルタン(皇帝)の座に就いた。彼は5度にわたり北方からのモンゴル帝国侵入を退けながら領土拡張政策をとり、自らを「第2のアレキサンダー」と称した。1303年にはメーワール国に進軍し、チットールは陥落する。歴史家の解釈によれば、この進軍は彼の領土拡張政策のひとつに過ぎなかった。メーワール国はアラビア海に面するグジャラートの港に通じる地域にあったため、商取引のために支配しておく必要があり、西方からの敵軍侵入に備え、メーワール国は要衝の意味も持っていたとされる。

メーワール国存亡史

本作の舞台となるメーワール国は、インドの西部ラージャスターンの南部に位置する。その歴史は6世紀にまで遡るが、8世紀のバッパー・ラーワルが建国の王とされる。首都チットールの都城である荘厳なチットール城は、平地の中に聳える標高150mほどの切り立った断崖に囲まれ、敵軍の侵入を許さない難攻不落の城とされ、バッパー・ラーワルとその後の王たちは、西から侵入してきたイスラム軍の攻撃を500年以上にわたって阻止してきたが、1303年、デリー・スルタン朝のアラーウッディーン・ハルジーによる攻撃を受け、チットールは一時的に陥落する。1326年に再興されたものの、1535年には、グジャラート・スルタン朝のバハードゥル・シャーによって包囲されてしまう。この時は、ムガール帝国フマーユーンの力により陥落を免れたが、1567年、アクバルの攻撃を受け、遂にチットールは陥落する。その後、ウダイプルに首都を移しメーワール国は存続したが、1818年にはイギリスに属するウダイプル藩王国となり、1947年のインドとパキスタンの分離独立の際にインドの州となった。

究極の映像美を彩る豪華な衣裳

本作の舞台は13世紀から14世紀のラージャスターンであるため、衣裳の制作に際して、博物館での徹底的なリサーチが行われた。その数は、メインキャストだけで150着近くが制作され、時代や地方の特性に合致する事を目指しただけでなく、登場人物の性格も考慮した色や素材が選ばれ、デザインされた。パドマーワティはシンガール国(スリランカ)の王女からラージャスターンのメーワール国の王妃に迎えられ、極めて質素なシンガールの衣裳から、豪華なラージャスターンの衣裳に変化する。その衣装は、ラージャスターンの宮殿の格子窓をデザインした伝統的なゴーター(縁飾り刺繍)を使用し、オードニー(ショール)はメーワール地方で現在も行われている伝統的な手法によって制作された。ダンスシーンでは、レヘンガーという服を纏って激しく踊るが、その衣装はヒンドゥー教とラージャスターンの伝統を考慮しデザインされ、マハーパッティ(頭飾り)の重さはそれだけで3キロもあるという。最後のシーンでの衣装は、特に入念にデザインされ、「生命の木」をモチーフに「永遠の生命」を表現し、らせん状の縁飾りがつけられている。パドマーワティの衣装は、一着がおよそ200万ルピー(約320万円)で重さは30キロになったものもあった。ラタン・シンの衣装は、その「正義感」を象徴するように、色は白やベージュ等の柔らかい色、そして素材は綿モスリン等が選ばれた。特にターバンは丹念に制作され、28色の色を重ねて染め上げたものもあったという。一方、アラーウッディーンには、その「残忍性」を象徴させた黒や茶色等の暗い色を使用し、ベルベットやジュートの素材が使われた。彼らの装身具については、正確な記録が残っていない為、現存する文書から推察でデザインされた。その数は約3,500にものぼり、約200人の職人が約500キロの金を始め多くの宝石を使用して制作している。